京都地方裁判所 昭和58年(行ウ)5号 判決 1984年5月31日
京都府向日市物集女町北ノ口一〇〇番地四七
原告
有馬フミ子
訴訟代理人弁護士
莇立明
京都市右京区西院上花田町一〇番地
被告
右京税務署長
宮崎勉三
指定代理人検事
中本敏嗣
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告
被告が昭和五六年一〇月二一日付で原告に対してした原告の昭和五五年分の所得税の更正処分のうち、分離短期譲渡所得金額を八五九万八〇五六円とし、これに対する納付すべき税額を三四三万九二〇〇円とした部分及び同年分の過少申告加算税の賦課決定を取り消す。
訴訟費用は、被告の負担とする。
との判決。
二 被告
主文同旨の判決。
第二当事者の主張
一 当事者間に争いがない事実
1 原告は、昭和五四年五月九日死亡した夫訴外亡有馬義一から、相続によって取得した別紙物件目録一記載の不動産(以下本件不動産という)を、昭和五五年一二月二七日、金一五〇〇万円で訴外三基建設株式会社(以下三基建設という)に売り渡した。
2 そこで、原告は、本件不動産が租税特別措置法(昭和五七年法律第八号による改正前のもの、以下措置法という)三五条一項に規定するいわゆる居住用財産に該当するため同項の適用があるとして、別表1のとおり確定申告をしたところ、被告は、同項の適用がないとして、本件更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分をした。その内容は、別表1記載のとおりである。
本件更正処分以後の課税の経緯は、別表1記載のとおりである。
二 本件請求の原因事実
被告がした本件更正処分は、本件不動産が措置法三五条一項に該当しないとした点で違法である。
そこで、原告は、本件更正処分のうち請求の趣旨掲記の部分とこれに対応する過少申告加算税の賦課決定処分の取消しを求める。
三 被告の答弁
原告主張の本件請求の原因事実は、全部争う。
四 被告の主張
1 原告の昭和五五年分の分離短期譲渡所得金額及び不動産所得金額の計算は、別表2記載のとおりである。
以下に分説する。
(分離短期譲渡所得金額の計算)
<1> 譲渡価額 一五〇〇万円
当事者間に争いがない。
<2> 土地の取得価額 三二九万二〇四二円
<3> 建物の取得価額 一四〇万六四六八円
<4> 合計 四六九万八五一〇円
有馬義一は、昭和四五年九月一日、本件不動産を訴外ホリケン株式会社(以下ホリケンという)から、五六〇万円で買い受けた。ただし、登記簿上は、ホリケンから昭和五四年一二月三日原告に所有権移転登記手続がなされた。
そこで、この取得価格を、本件不動産中1の土地、2の土地及び3の建物に按分計算すると、1の土地と2の土地の取得価格は、三二九万二〇四二円、3の建物のそれは、二三〇万七九五八円になる。なお、この計算は、昭和三九年四月二五日付直資五六直審(資)一七「相続税財産評価に関する基本通達」の定めに基づいてされたものである。
この3の建物の取得価額から、昭和四五年九月(ホリケンからの買受時)から昭和五五年一二月(三基建設への譲渡時)までの期間の3の建物の償却費の額の累積額(所得税法三八条二項一号)九〇万一四九〇円を控除した額が<3>の金額である。
<5> 譲渡費用 〇円
譲渡費用はない。
<8> 特別控除額 〇円
本件不動産の譲渡所得は、短期譲渡所得になるから、措置法三二条一項により特別控除額はない。
<9> 分離短期譲渡所得金額 一〇三〇万一四九〇円
別表2の一に記載のとおりである。
(不動産所得金額の計算)
<1> 総収入金額 一二〇万円
原告は、訴外有馬義化研株式会社(以下訴外会社という)に対し本件不動産を、月額賃料一〇万円で賃貸した。したがって、昭和五五年中の賃貸料収入は、一二〇万円である。そして、この額は、原告の確定申告のとおりである。
<2> 必要経費 八万七二四一円
3の建物の取得価額二三〇万七九五八円を基として計算した昭和五五年中の償却費の額(所得税法三七条一項、四九条一項、所得税法施行令一二五条、一三一条一項)である。
<3> 不動産所得金額 一一一万二七五九円
別表2の二に記載のとおりである。
2 原告の昭和五五年分の課税総所得金額、課税分離短期譲渡所得金額及び税額の計算は、別表3記載のとおりである。別表3は、別表2に基づいて算出されたものである。
3 原告は、昭和五四年五月九日相続によって本件不動産を取得した当時から、本件不動産を訴外会社に賃貸しており、原告の生活の本処は、別紙物件目録二記載の家屋(以下物集女の家屋という)である。
そうすると、原告は、本件不動産を居住の用に供したことがないから、措置法三五条一項を適用する余地がないといわなければならない。
4 被告がした本件更正処分は、別表3の原告の総所得金額、課税分離短期譲渡所得金額及び税額の範囲内であるから正当であり、これに対応する過少申告加算税賦課決定処分も正当であり、なんら取り消すべき瑕疵はない。
五 被告の主張に対する原告の反論
1 原告は、昭和五四年九月一日、物集女の家屋から、3の建物に転居し、訴外会社の代表者として、昼間は、3の建物の階下の訴外会社作業場で仕事をし、夜間は、3の建物の二階で単身寝泊りをした。そして、物集女の家屋には、訴外会社の専務取締役に就任した長男訴外高田博文と長女訴外有馬千代子が同居し、昼間は、3の建物に通勤していた。
そうすると、原告にとって、3の建物は、生活の本拠であり、措置法三五条一項に規定する居住用財産の譲渡に該当することは、いうまでもない。
2 別表2の一の<2>、<3>の取得価額を争う。ただし、有馬義一が、昭和四五年九月一日、本件不動産をホリケンから買い受けたことは認める。
別表2の二の<1>の総収入金額及びその前提事実を認める。
理由
一 次の事実は、当事者間に争いがない。
1 事実欄第二の一の当事者間に争いがない事実に掲記した各事実
2 有馬義一は、昭和四五年九月一日、本件不動産を、ホリケンから買い受けた。
3 有馬義一は、昭和五四年五月九日死亡したが、その当時、原告は、物集女の家屋に居住していた。
4 原告は、昭和五五年中に、訴外会社に本件不動産を賃貸して、合計一二〇万円の賃料をえた。
二 そこで、本件の争点である原告が本件不動産を三基建設に譲渡した昭和五五年一二月二七日当時、3の建物を居住の用に供していたかどうかについて判断する。
1 前記争いがない事実、成立に争いがない甲第一号証、同第二号証の一、二、同第三号証、同第六、七号証、同第一〇号証の一ないし四、乙第八ないし第二三号証、同第三二号証、原告本人尋問の結果によって成立が認められる甲第八、九号証、当裁判所が真正に作成されたものと認める同第一二号証、乙第二七号証、訴外向山義夫が昭和五八年四月四日物集女の家屋を撮影した写真であることについて争いがない検乙第一ないし第四号証、証人吉村巧、同高田博文の各証言の一部、証人鈴木幸の証言、原告本人尋問の結果の一部を総合すると、次のことが認められ、この認定に反する証人吉村巧、同高田博文の各証言及び原告本人尋問の結果のそれぞれ一部は採用しないし、ほかにこの認定の妨げになる証拠はない。
(一) 原告は、高田早苗と婚姻し、その間に高田千代子(昭和二一年一〇月生)、高田博文(昭和二三年六月生)、高田晶子(昭和二七年六月生)を儲けたが、昭和四六年九月協議離婚し、昭和四七年三月、有馬義一と再婚した。有馬義一は、同年七月、高田千代子、高田晶子と養子縁組をした。
(二) 有馬義一は、昭和四五年九月、本件不動産を買い入れ、原告、高田(有馬)千代子、高田(有馬)晶子と入居し、薬品(染色用助剤)の製造販売をはじめた。
(三) 有馬義一は、昭和五〇年一一月、同族会社である訴外会社を設立して代表取締役になり、昭和五一年一月から、3の建物を訴外会社に、一か月賃料一〇万円で賃貸した。しかし、有馬義一の家族は、そのまま3の建物で生活をしていた。
(四) 訴外会社は、有馬義一の家族が中心になって薬品の製造をしていたが、その場所は、3の建物の一階表駐車場、裏土間、奥六畳和室であり、二階は、娘二人が寝起きしていた。
訴外会社は、昭和五一年九月ころ、近隣の者から作業の危険性について苦情がもち込まれはじめた。これは、訴外会社の薬品製造過程で、悪臭が生じ、洗浄水が農業用水を汚染する虞れがあり、使用される溶剤が火災の危険性があるドライゾールであったことによる。
(五) 有馬義一は、昭和五三年三月九日、物集女の家屋を約四二〇〇万円で買い入れ、原告、有馬千代子、有馬晶子と転居した。これらの者の住民登録は、同年四月一四日付で3の建物から物集女の家屋に移された。そうして、有馬義一らは、物集女の家屋から3の建物に通って訴外会社の仕事を続けた。
(六) 有馬義一は、昭和五四年五月九日死亡したので、原告が、訴外会社の代表者になって、訴外会社を経営して行くことにした。3の建物は、遺産分割協議により原告の所有になり、原告が、引き続いて訴外会社に同一の賃料で賃貸することになった。
高田博文は、専務取締役として、原告を助けることになった。
(七) 有馬晶子は、同年六月二三日、訴外吉川武彦と婚姻して物集女の家屋から東京都目黒区に転出した。
(八) 原告と有馬千代子は、これまで通り、物集女の家屋から、3の建物に通って訴外会社の仕事を続けたが、原告は、時には、仕事の都合上3の建物の二階に寝泊りすることもあった。
(九) 向日市の吏員が、昭和五五年三月、訴外会社の公害に関する苦情処理のため3の建物に調査に赴いたが、立入を拒まれた。原告は、このころから、訴外会社の作業場を他に移転する意向を固め、適地を物色しはじめた。
(一〇) 原告は、同年九月、北墓地管理者寺戸町区長斉藤勇次に対し、北墓地の使用を申し込んだが、そのため、住民登録を、物集女の家屋から3の建物に移した(同年一二月三〇日移動、昭和五六年二月二八日届出)。
(一一) 原告は、昭和五五年一二月二七日、本件不動産を一五〇〇万円で三基建設に売り渡し、向日市鶏冠井町十桐三三番地の一一の土地を購入して社屋兼作業場を建てて訴外会社を移した。これによって3の建物での公害問題は、解決をみた。
高田博文は、昭和五六年一月一〇日、右鶏冠井町に転居したとして住民登録の届出をした(旧住所は東京都品川区大崎三丁目六番二一号三〇七号室)。
2 以上認定の事実によると、原告の昭和五五年一二月当時の生活の本拠は、物集女の家屋であり、3の建物は、訴外会社に賃貸していたもので、その仕事のため物集女の家屋から通っていたとするほかはない。
そうすると、原告は、昭和五五年一二月当時本件不動産を居住の用に供したことがないから、措置法三五条一項を適用することはできないといわなければならない。
三 成立に争いがない乙第二号証の一、二、同第二四ないし第二六号証、当裁判所が真正に作成されたものと認める同第二九号証によると、別表2の分離短期譲渡所得金額及び不動産所得金額の各計算が、正当であることが認められ、この認定に反する証拠はない。
そうして、別表2を基礎として、原告の昭和五五年分の課税総所得金額、課税分離短期譲渡所得金額及び税額を算出すると、別表3記載のとおりになることは、計算上明らかである。
そうすると、原告の昭和五五年分の課税分離短期譲渡所得金額は、一〇三〇万一〇〇〇円で、その税額は、四一二万六七六〇円であるから、この範囲内でなされた本件更正処分は、適法であり、これに対応する過少申告加算税賦課決定処分も正当であって、取り消されるべき瑕疵がないことに帰着する。
四 むすび
原告の本件請求を棄却し、行訴法七条、民訴法八九条に従い、主文のとおり判決する。
(裁判長判事 古崎慶長 判事 小田耕治 判事補 長久保尚善)
別表1 課税の経緯
<省略>
別表2
一 原告の昭和五五年分分離短期譲渡所得金額の計算
<省略>
二 原告の昭和五五年分不動産所得金額の計算
<省略>
別表3
原告の昭和五五年分の課税総所得金額、課税分離短期譲渡所得金額及び税額
<省略>
別紙
物件目録一(本件不動産)
1 向日市寺戸町蔵ノ町二二番四二(1の土地という)
宅地 一四・三八平方メートル
2 同所 二二番四三(2の土地という)
宅地 六六・一八平方メートル
3 同所 二二番四三、二二番地二〇九(3の建物という)
家屋番号 蔵ノ町二二番四三
居宅木造瓦葺二階建
一階 三四・四二平方メートル
二階 三〇・九七平方メートル
別紙
物件目録二
1 向日市物集女町北ノ口一〇〇番四七
宅地 二七七・〇一平方メートル
2 同所 同番地
家屋番号 一〇〇番四七
居宅木造瓦葺二階建
一階 五一・四六平方メートル
二階 四四・七六平方メートル